燃え続けるモノづくりの魂。JURINと歩む、バウムクーヘン職人が描く未来

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2012年10月に栃木県大田原市にオープンした「バウムハウス 樹凛」。オープン当時から今日も、JURINのバウムクーヘンを焼き続ける職人がいます。今回はそんな職人に、バウムクーヘン職人になったきっかけやJURINの裏話。そして、今後JURINで目指すことを伺いました。

▲隨木翼:神奈川県生まれ。5歳の時に、家族で栃木県に移住。高校卒業後は、那須の牧場で働く。23歳の時に、バウムハウスJURINでのキャリアをスタート。美味しいバウムクーヘンをお客様にお届けするべく、仕事とプライベート問わず研究を行っている。素材調合〜焼き、新商品企画と、JURINの味を司る職人。 

野球で勝つ。当時の熱狂を求め、バウムクーヘン職人の門を叩く。

オープン当時から今日もJURINのバウムクーヘンを焼き続けている職人が、隨木翼だ。小学〜高校時代は、朝から晩まで野球に明け暮れたアスリートでもある。そんな隨木が社会人1年目に選んだ職場は、那須の牧場だった。 

「野球部で鍛えた体を活かして、とにかく体を動かす仕事がしたいと思ったんです。そんな時にたまたま求人を見つけたのが、栃木県にある那須の牧場でした。」

牛が1,000頭もいるような牧場で2年間、牛の管理に走り回ったという。まるで野球部に戻ったかのような日々は、大変ではあったが楽しかったと語る。牧場で2年間働いた後、ふとしたきっかけで実家が経営する会社で働くことになった。

「牧場とは打って変わって事務的な仕事をこなす毎日‥。こうした日々を過ごす中、自分が本当にやりたいことは何か?を深く考えるようになりました。体力が有り余ってたからでしょうかね?」

野球で勝つ。勝つために努力する。あの熱狂を、もう一度味わうことのできる仕事はなんだろうか。

「次は、モノづくりに挑戦しよう。」

自分が、チームが団結して作ったもので人を喜ばせること。これができれば、あの時の熱狂を日々感じられるはずだ。こうして隨木はモノづくり職人になるべく、新たな一歩を踏み出す決意をした。その時たまたま見つけたのが、バウムハウスJURINのオープンスタッフ募集の記事だった。

「これだ!」

JURINのオープンスタッフ募集に応募。2012年10月、バウムクーヘン職人の人生が、幕を開けた。

再び訪れた熱狂。今も心に刻む、師匠の言葉。

「初めはバウムクーヘンに絞って求人を探したわけでもなくて。私自身、製菓学校を出ているわけでもないですし‥。ただ、ゼロからモノを作る経験がしたかったので、“オープンスタッフ”にはこだわっていました。」 

採用の知らせを聞いた時、バウムクーヘン職人としては全くの素人だった隨木。しかし心のワクワクは収まらなかったという。オープンまでの2ヶ月間は、様々な形でバウムクーヘンを学び、試し、悩み抜いた。この2ヶ月は、人生の中でも最も濃い2ヶ月だったと語る。

 

▲生地を重ねる工程は、その日の温度や湿度、生地の状態を考えながら、丁寧に行なっていく。 

「かつて無いほど、試行錯誤の日々でした。初めは焼いてもうまく膨らまず、味も乗らずで‥。製菓学校を出ていない自分でも大丈夫だろうか?と思う時もありました。でも、頑張れば頑張った分だけ美味しいバウムクーヘンができたんです。これが楽しくて仕方なかったですね。明日はもっと美味しいバウムクーヘンを作りたいと思いながら、床に就く。バウムクーヘンは嘘をつかない食べ物です。」 

この修行期間の中で、一番心に残っている出来事を尋ねてみた。

「オープンまでは主に、福島県のとあるバウムクーヘン職人から、焼き方や生地の調合などを学んでいました。その職人から言われた言葉は、今でも私の心に残っています。」

 

「バウムクーヘンは、自分が焼きたいように焼けばいいよ。」

 

この言葉が隨木の心に絶えることのない“モノづくりの火”を灯した。

「お菓子作りのエリートコースを歩んでいない。そんな自分だからこそ作れるバウムクーヘンが、きっとある。業界の伝統に捉われることなく、自分が良いと思った方法で作ったモノで勝負しよう。」

そうした思いを胸にバウムクーヘンの研究を重ね、焼き続けた隨木。あっという間に時は過ぎ、ついに隨木のバウムクーヘンが、お客様のもとに届くことになった。 

「オープン初日はドキドキでしたよ。でも、7名のスタッフと協力し、納得のいくものを完成させることができました。そして、お客様に自分のバウムクーヘンをお買い求めいただけた時。この瞬間に感じた思いは、私が追い求めていた熱狂そのものでした。JURINのオープン当日に、“バウムクーヘン職人になる”といった自分の選択は、間違ってなかったと確信しましたね。」

2012年12月、バウムハウスJURINは、5名のメンバーを擁して栃木県大田原市にオープン。日を重ねるごとに、周囲からの評価は高まっていったという。2023年現在も、お客様の足が途絶える気配はない。

▲様々な工程を経て、店舗に並ぶJURINのバウム。1人では決して作ることができない、チームワークの結晶だ。 

追い求めるのは、自分にしか作れない“等身大”のバウムクーヘン

バウムクーヘン職人になって10年が経過した今、力を入れていきたいことがあるという。それは、“今よりもさらに美味しいバウムクーヘンを作ること”だ。

「今ある商品を大事にしつつも、さらなる美味しさを追求したいと考えています。そのためには、自分自身が様々な場所からインスピレーションを得る必要があると思っていて。これまではJURINのバウムクーヘンだけに向き合ってきましたが、今後は外の情報も積極的に取り入れていきたいと思います。」

ただ焼くだけなら、1ヶ月で誰でもバウムクーヘンを焼けるようになる。1個100円を超えるような良い卵を使えば、美味しいバウムクーヘンは焼ける。これからのJURINは、もちろん素材には拘りながらも、そういった部分では説明がつかない“味わい境地”を突き詰めていきたい、とも。

▲その日の気温、湿度等によって、日々表情を変える繊細な生地。マニュアル化が決してできない、職人の世界が凝縮されている。

バウムクーヘン職人の道を歩み始め、およそ10年が経過。隨木の心に宿るモノづくりの炎は今、那須の雪を溶かすほどに熱く燃えている。

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